以前、自分の間違いや失敗に注意を向けると、やり抜く力がつき、成功しやすくなるよというお話をしましたが、そもそも、人間って自分の失敗を認めたがらいなですし、自分は有能であるから失敗しないと思い込んでいる(失敗に気づくが隠蔽する)ので何も学ばないまま、過ちを繰り返すんです。
だから大半の人は失敗から学ぶことが困難なのでやり抜けない、つまり成功できないということです。
逆に言えば、その罠を学んじゃえば、極端でも何でもなく、確実に成功できる一歩を踏み出せるということです。
その罠って認知的不協和と呼ばれるものが原因なんです。
多くの場合、人って自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるより、事実の解釈を変えてしまうんです。
ようするに、自分の都合のいいように言い訳をして、自分を正当化したり、事実を無視してまったりしてしまうのです。
矛盾がストレスになるので解釈を変えてしまうのですが、この罠に陥らないために
1、自分の信念と相反するものでも、間違いに少しでも気づいたら、間違いを認める。しかしこれはなかなかできない。理由は簡単。自分は有能ではなかったと認めることになるから。
2、自分の信念で事実をゆがめない、解釈を変えない、無視しない。
ちなみに自分は有能である、または信念が強い人ほど、この罠から抜け出せないみたいです。
この現象は認知的不協和の「不協和」とは矛盾している気持ち悪さのことで、それを解消しようとすることで起こるのです。
成功の分かれ道は間違いを自分の解釈などで歪めるか、間違いに気付き、認めてそこから学ぶかどうかだけなのです。
つまらない討論でも
心理学者のエリオット・アロンソンとジャドソン・ミルズは学生たちを2つのグル-プに分け、「性の心理学」に関する特別な討論会への参加資格を与えると言った。
ただし、実際に討論に参加するには、まず「加入儀式」を受けなければならない。
1つ目のグループに課された儀式は官能小説の過激なセックスシーンを読み上げるという学生にとっては非常に恥ずかしいもの。
もう一方のグループには、儀式は辞書に載っている性的な単語を読み上げるだけのものだった。
その後、学生たちはやっと、討論会に迎え入れられ、そこでは事前に行われた討論の録音テープが流された。
しかし、録音テープに仕掛けがされてあった。意図的に退屈な内容にしてあった。
鳥の第二次性徴(雄の特徴的な羽根や色)についてダラダラした討論で、発言者は議題に関する下調べをしておらず、話し始めても途中で終わることが続いた。
あまりのつまらなさで参加したことに後悔するレベル。
テープが終わると、学生たちは討論の感想を聞かれた。
まず、さほど恥ずかしくない加入儀式を受けたグループは「つまらなかった」と答えた。
発言者についても「無責任だ」「あんな人と議論したくない」「予習くらいしてくればいいのに」と否定的な意見が相次いだ。
一方、非常に恥ずかしい加入儀式を受けたグループはなんと、討論は刺激的で興味深いと評価。発言者についても頭が良く、感じも良い印象を持った。
無責任なメンバーのことも「予習をしなかったこと認めるなんて」「あんな正直な人と議論がしたい」と許した。
このメンバーの認知的不協和はつまらなかったと認めることはわざわざ頑張った自分がバカだったと認めることになるのです。
その状態で自尊信を守るためには、素晴らしい討論だったと思い込むしかない。だから内容も発言も高く評価してしまい、事実の見方を変え自分の都合のいいように解釈してしまうんですね。
事実を信念で歪めると対立するだけ
心理学者のチャールズ・ロードは被験者にあるレポートを読ませた。(1)
被験者は死刑制度に反対派、賛成派でどちらも筋金入りだった。
賛成派は死刑の犯罪抑止効果を友人に説いて回り、反対の意見を聞くと、怒鳴り散らすような人々。
一方、反対派は「国が認める殺人」によって、残忍な社会になってしまうことを心底恐れる人々だった。
ロードは各グループに二つの研究報告書を読ませた。二つとも、綿密な分析に基づいた、深い説得力のあるレポート。ただし、1つは死刑制度を支持するものを集めたもので、もう一つは死刑制度に反対する意見裏付けるばかりのもの。
どちらも普通なら、「それぞれに利があるものだろう」と思える程のしっかりしたデータ。
結果として、レポートの感想を尋ねられた賛成派は「私たちの信念を裏付けるレポートに深く感銘を受けた。広範な調査で綿密なデータが集められていて、実に説得力のあるレポート」だと絶賛。もう一方のデータについては「ああ、あれ?あのデータは穴だらけで内容が薄っぺらく、あんなお粗末なレポートを出す研究者がいるなんて信じられない」と。
一方の反対派は逆の反応で、しかも中立的な統計データやその集計方法についても説得力がないという意見だった。
両派とも全く同じレポートを読んだにもかかわらず、お互いの心は離れる一方。どちらとも自分の信念に都合のいいように解釈を変え続けた。
この認知敵的不協和というのは誰の心にも潜むものです。人は自分の信念にしがみつけばしがみつくほど、相反する事実を歪めちゃうっていうことです。
どうして人は特定の信念にしがみつくかというと、同じ情報や人にしか接触していないからということが可能性として1つあります。そこで本当じゃない自分の信念が作られ、周りといつの間にか同じ意見を持ち、さぞ、それが唯一絶対の正義に思えてくることもあるんです。そしてほかの考え方を見向きもしなくなるかもしれません。
そうならないためには、たくさんの情報をまんべんなく受け取ることが大事です。
僕の意見ですが信念は信念として持つことは大事です。が、しかし事実を自分の信念に照らし合わせるから事実を歪めてしまうのであって、事実と信念を分けることがこれらの実験から学ぶべき教訓じゃないかと思います。
もちろん、無意識にみんなが多かれ少なかれ、やってしまうことなので普段から意識はした方が良さそうです。
ちょっと一言
成功するには失敗から学ぶことが重要でしたが、その失敗や間違いという事実を歪めてしまっては、元も子もありません。
なぜそんなに失敗や間違いから学ぶ事が重要かと言いますと、やり抜く力の源だからです。
やり抜く力とは失敗から学び、前に進む力のことです。
前に進むことは、つまり目標達成や成功のためのものです。
なぜ、目標達成や成功が大事かと言いますと、それ自体が幸福に直結するからです。
幸せとは自分で決めた目標を達成するためのプロセスを楽しみ、進んでいると実感できていることです。
だから幸せになりたかったら,失敗を自分の都合のいいように解釈してはいけないということです。
ちなみに、毎日2回人生に役立つ言葉をツイッターでつぶやいています。
良かったらチェックしてみてください。
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