なかなか、物事を客観的に見るって大変ですよね。
というか、普段どうやれば客観的に見ているのだろうなんて、僕は思ってしまいます。
だから、周りから面倒くさい奴だと思われているのかもしれません。
まぁ、それはさておき、逆に人間がどういう状況になると主観が入ってしまうのかについてわかれば、より客観的に見られると思いませんか。
信念が客観性を失わせる!?
イェール大学のダン・カハンたちは、2つの条件下で人は情報を客観的に見られるかどうか実験した。(1)
まず、被験者たちを2つのグループに分け、「情報を与えられない」条件下で、実験者はナノテクノロジーは微粒子を製造し、操作するプロセスであるとだけ教えられた。
この条件下では、参加者はナノテクノロジーを使用するための費用と利益について、イデオロギーによって分裂しなかった。
保守派とリベラル派、民主党と共和党の間に明らかな分裂は見られなかった。
一方で、「情報を与えられる」条件下では、参加者はナノテクノロジーの潜在的な危険性と利益についての事実に基づく資料を渡された。
その結果、情報に触れたことがこうした危険と利益についての意見に本質的に影響を及ぼさなかった。
ところが、参加者は情報に触れたことで、もともとの政治的志向に従って分裂した。
自由市場を好み、政府の干渉を信用していない傾向のある参加者は、ナノテクノロジーの使用にそれまでよりずっと好感を持つようになった。
反対に、社会的平等の実現に賛成し、政府が社会目標の達成を促進してくれると信用する傾向がある参加者は、ナノテクノロジーの使用にそれほど好感を持たなくなった。
情報を与えられない条件下では、ナノテクノロジーの利益は危険を上回るという信念について、2つのグループの間で、本質的に違いは見られなかった。
いずれのグループでも、過半数をわずかに上回る(61%)参加者がこの結果を受け入れるようになった。
しかし、バランスの取れた情報に触れさせることによって、分裂は0%68%に増え、自由市場の熱烈な支持者の86%は利益が費用を上回ると信じ、平等主義者でそう信じているのはわずか23%だけだった。
ちょっと一言
ただ、その情報だけを聞くと、誰でも根本的な問題には主観が入りませんでした。
ですが、その情報によって、政治志向に従って見え方が変わってしまったのです。
ですので、今回は政治色がある問題はなかなか客観的になるのは難しいということがわかったと思います。
また、政治的なものだけでなく、個人的な利益などを考えたりしても同じようなことを怒るのではないかと思います。
この考え方から脱却するのは、反対の意見、立場の違う人の意見を聞くことです。
なかなか難しいんですがね~。
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