そもそも道徳という言葉があいまいだと思ったことはありませんか。
何が道徳的で、そうでないかというのは人それぞれで、妥当性のある説明はなかなかできません。
そう考えると、世の中で言われる「道徳」という言葉にみんなが引きずり回されている気がします。
その理由は、・・・
道徳に妥当性のある説明ができなくても!?
兄のマークと妹のジュリーは、大学の夏休みにフランスを旅行している。
二人は、誰もいない浜辺の小屋で一夜を過ごす。
その時にセックスをしてみようと思い立つ。
二人にとっては、少なくとも新たな経験になるはずだ。
ジュリーは避妊薬を飲み、マークは念のためにコンドームを使う。
かくして、二人は楽しんだ。
だが、もう二度としないと決め、その日の出来事は二人だけの秘密にした。
そうすることで、二人の愛情はさらに高まった。
さて、あなたはこのストーリーについてどう思いますか。
二人がセックスしたことは正しいと思いますか。
もちろん、被験者は「NO」と答えた。
研究者はさらに被験者が「NO」である理由を探るために質問をした。
近親相姦を理由に挙げる者もいたが、二重の避妊手段により、この回答は妥当ではなかった。
研究者は被験者が挙げる回答の、この手の不備を逐一指摘した。
やがて、被験者は理由を挙げられなくなったが、それでも「NO」の回答は変えなかった。
ようは、その行為が道徳的におかしいといっても、その妥当性のある説明ができないということです。
こんなこと(他人の道徳を批判すること)は日常茶飯事のような気もしますが。
僕みたいに「なんで」ってよく聞いて、ウザイと思われるのはこのせいなんですね。
なんかすっきりしましたぁ!
研究者は『しあわせ仮説ー古代の知恵と現代科学の知恵』という本の中で、「心理学の中でも最も重要な考えを把握するためには、時に競合し合う複数の部位に分割されるということを理解しなければならない。各人の身体には独りの人格が宿っていると一般って気には考えられているが、私たちの一人ひとりは、ある意味で様々な目的のためにかき集められたメンバーで構成されている委員会のようなものだ」(5)
そして、「私たちの心は四通りの基準で分けられている。脳を左と右、古い部位と新しい部位、情動と理性、そして、コントロールされた部位と自律的な部位の四通りの基準で分割する」と述べている。
四通りかどうか何の根拠があるかわかりませんが、人間は状況によって態度や行動を変えますので、「委員会」というのは、僕は納得します。
ちょっと一言
人間は、道徳に対して妥当性の説明ができなくても、自分の答えを変えようとしないということがわかりました。
ちなみに、人は他人の道徳を批判しますが、状況によっては自分が非道徳的なことをやって、それがばれてもほぼ全員が言い訳をします。
そう考えると、人の心は不思議ですねぇ。
詳しくは、
・裏表のある人の心理!~裏表のある男女の特徴!それは・・・?~
をご覧ください。
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良かったらチェックしてみてください。
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