みなさんにとって、「良い人」と「悪い人」ってどういう人ですか。
多分、すぐに想像がつくと思います。
では、仮にその人が悪い人だと思っても、過去には良い人だったということも十分あり得ます。
逆もしかりです。
では、「良い人」「悪い人」っていうのは時間によって分かれるのでしょうか。
例えば、「良い人」でいたのが20年で、「悪い人」でいたのが半年だったら、その人の印象はどうでしょうか。
考えながら読み進めていってください。
良い人に感じる人はどういう人!
イェール大学のジョージ・ニューマンたちは、他人の道徳的特徴を評価するとき、たとえ彼らの行動が矛盾した行動の圧倒的に長時間見せられしたとしても、人々はその人たちの人生の終わりの行動をより重視するのかを調べた。(1)
研究者たちは架空のジムというCEОを設定し、経歴を2パターン用意した。
1つ目の略歴では、ジムは従業員に低賃金しか払わず、医療給付を拒み、慈善事業に寄付したことがない、嫌な奴だとされていた。
そして、そうした態度が30年間も続いた。
ところが、キャリアの終盤、彼は寛大な態度に変わった。
給料を上げ、利益を分け与え、、コミュニティの様々な慈善団体に多額の寄付をするようになった。
しかし、善意のある態度になってから半年後、、予期せぬ心臓発作でなくなった。
一方、2つ目の経歴では、数十年間、ジムは寛大で情け深いCEОだった。
自分の利益より従業員の福利を優先し、地元の慈善団体に多額の金を寄付していた。
しかし、定年近くになり、彼の態度は全く変わった。
従業員の給料を削り、会社の利益をほとんど独り占めするようになり、慈善団体の寄付もやめてしまった。
その半年後、予期せぬ心臓発作でなくなってしまった。
それから、研究者たちは被験者たちの半数に、嫌なヤツから好人物になった経歴を渡し、もう半数には好人物から嫌な奴になった経歴を渡して、ジムの人格の全体的な道徳性を評価するように、両方の被験者たちに求めた。
その結果、被験者たちは主に、ジムの人生の最後の局面の行動に基づき、ジムの道徳性を評価した。
研究者たちは、「人々は、比較的長期間に行われたある種の好意を差し置いて、人生の最後に起きたというだけで、比較的短期間の別の種類の行為を優先させることを厭わない」と説明。
これを「晩年のバイアス」と言います。
つまり、どんな最後であっても、人生の大部分がどうであろうと、人々はその人の人生の最後がその人本来の姿だと思ってしまうのです。
ちょっと一言
つまり、人は他人の最後の姿で判断しているのです。
ちなみに、自分をよく見せる時でもこれは使えます。
過去に「お酒におぼれていた」とか、「私生活があれ過ぎて、不健康だった」とかと言ってから、そこから「このままじゃマズいことにあることで気づいて・・・」みたいなストーリ―を語って、「今の健康的な体を手に入れた」というような話をすると、良い人(努力してきた人)に見えますし、自慢しているように見えません。
ですので、ダメだった過去を引き合いに出して、変われたポジティブな自分の話をすれば、人は良い人に見てくれるのです。
ちなみに、毎日2回人生に役立つ言葉をツイッターでつぶやいています。
良かったらチェックしてみてください。
https://twitter.com/7pryQDbmp1FMQdF/status/1290640919264288768?s=20
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